憧れ

中学か高校の頃、アフリカに憧れを抱いた。
アフリカの地図を買って部屋に貼っては眺めていた。
青年海外協力隊に入りたかった。
アフリカで仕事をするには自分にできるのは音楽の先生だ、と音楽の教員にでなく青年海外協力隊に憧れて教員免許を取ろうと思った。JICAの説明会にも参加した。
…でも、応募しなかった。
西洋音楽を学んだ自分が、現地で何ができるのか、と思ってしまったから。
私はもともと土着の文化が好きだった。
獅子舞、お囃子、和太鼓、民族音楽。
たくさんの音源を聴き、本も読んだ。
でも…合唱に導かれて声楽科に入った。
ソロでクラシックを歌うことは土着の音楽に惹かれる気持ちと裏腹でなかなか受け入れられなかった。
だから精神的におかしくなって大学では相談室へ行くよう勧められ、行ってみたり。
行ったところであんまり解決しなかったのだけど。
書いてるうちにどんどん思い出してきた。
なぜあんなに大学時代苦しかったのか…。
じゃあもともと、なぜ声楽を始めたのか。
合唱が好きだったから。
その後ソロを学ぶうちに、合唱が苦しくなってしまって離れた。
小さな頃は、合唱団の楽しさとケチャの民族的な声の合わさりとが共通のものとして自分の中にあったのだけど、声楽を勉強するうちに自分の身体が楽器になって、西洋の発声をする楽器として成り立つようになると、民族的な発声が自由に出来ない自分、許せない自分が出来てしまった。心と身体が乖離した。
今は、クラシック発声はクラシック発声で好きだからやるけれど、ブルガリアンボイスとか沖縄の唄い方のような、張る唄い方も身に付けたいなと思う。でも声の両立は難しいから、出来ないと、あきらめている。
やはり変わらず、私はクラシックに囚われて民族的なものに憧れをもっているのですね…。

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