芸術を学んだ人が得てきたもの

一般的に、芸術を学んでいるというと「ちょっと変わった人」とか「個性的」とか色々言われますけれど、実は、実社会において非常に役立つ深い学びをしてきていると思います。

それは大学を出て25年以上経つ私が、様々な仕事の中で実感することです。

やり抜く力

芸術って、何かフワーッとしたものではなく、実は誠に現実的なものであって、例えば料理を作るということと似ていて、最後までやり通すことが何より大事ですよね。

絵を描くのでも、歌を歌うのでも、一通り最後までやって見えることがある。

完璧にいかないからと途中でやめてしまっては、形にならないので、とにかく最後までいくというのは必須。

仕事をしていると、途中のプロセスで「うわーこれは難しい」「これはもう崩壊しそう」「人間関係がたまらん」など、放り投げたくなる瞬間はいくらでもあります。仕事に限らず、このブログを書いていても「もう書けない」「ここまでしか書けない」など、自分の中で様々な思いも出てきます。

そんな中でも、とにかく耐えてゴールまで行くんだ、とりあえず終わらせるんだ、という力は、芸術を学んだ人には非常に強くついていると私は考えています。

私も、商品を世に打ち出す「ローンチ」という手法を学びました。ローンチはある程度期間がかかるものですし、最後に商品が売れないことも。でも折れることなく、何回も重ねてきました。そうすると、たとえ売れなくても、たくさんの学びや経験から、次へのアイディアが出てくるし、また新たな展開にもなっていく。でも、1回のローンチを途中でやめていたら、そのような収穫はなかったと思います。

音楽やってきた人は最後までやり抜くよね、とよく言われます。

それを「根性」という一言で言い表すのは、この令和の時代に相応しくないのかもしれませんが、やっぱり私の中では「根性」。何くそ!という気合いと、絶対に最後まで行くんだ!という気合い、ああ、両方気合か、笑。 

中途半端を厭わない

これも芸術で学んだことです。今の時代、何かにつけ「正解」を求めがちではないでしょうか?AIに正しい答えを聞きたくなったり、誰かが話していることをYouTubeで検索して、正解を求めたり。。

でも、実は世の中の多くのことに「正解」は存在しない。

例えば子育てや介護の中で、人とのやりとりにこれが絶対の正解というものはない。だからこそ、人は迷い悩むわけですが、そのコミュニケーションは非常に芸術的だなと思うわけです。

また、家事をする方はわかると思いますが、料理も「正解」はなかなかない。有名な料理家のレシピだとしても、人によって味は違うから、最終的には自分は自分の味覚を信じるしかないわけです。

ファッションもそう。お店と同じコーディネートにしたのに何か違う。とか、モデルさんと同じものを着ているけど理想と違う。ということは当たり前に起こり、そのモヤモヤを乗り越えないとこの服が着られない!という心理状態になったりしますよね。

このように「正解がない」という事象に対して、芸術を学ぶと「私の今の全力を出してここまできたから、今はこれでよし」という感じで、認めることができるようになります。これも芸術によって培った精神の力だと思います。

自分ならどうするか、を考えられる。

演奏家というのは、作曲家が書いた楽譜の再現者であるわけですが、その演奏が皆同じ音楽になるわけではないですね。例えばコンクールで同じ曲を色々な人が弾く中でも、A さんとBさんの演奏は全然違う、ということになります。

ではそれは何が違うのか?

それは演奏者の解釈、体の違い、体の使い方、マインドの違い、などから、自ずとその人「らしい」ものになります。

その中で「自分ならどう演奏するか?」と解釈することが許されている部分に対して、より独自色を自ら打ち出すことができると思います。

それは応用すると

「相手が言ってきたことに対して自分ならどう反応するか」

「この仕事を自分ならどうするか」「この素材を自分ならどうするか」

「今の問題を自分ならどう解決するか」

このように「自分ならどうするか」に落とし込んで考える力、と言えるのではないでしょうか?

もしこれがないと、「言われたからやりました」「書いてあったからやりました」「ダメと言われたからやりませんでした」ということになり、いわゆる「考えられない人」というレッテルを貼られかねないのです。

反対に独自色を出し過ぎて「勝手にそこまでやるな」と言われてしまうかもしれないけれど、全く何も考えない人より、明らかに脳は活性化して、人生は彩り豊かになっていると思います。

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