性被害を受けたら
この頃、日本での人身売買や性被害などのニュースを特によく目にします。そして、日本は被害者の女性にも非があるかのような捉え方をされることが多く、満足な手当を受けられないとか。
そんな話を読んでいたら、わたしは中学生の時のことを思い出しました。
それは夕方、出先から20分くらいかけて歩いて帰宅中でした。私の右手には雨上がりで長傘がありました。
なんとなく、足音が付いてくる気がしていました。でも近所の人だったら悪いし。。と思い、とにかく足速に歩いていました。
ちょうど家にあと数メートルの所で、後ろからダダダっ!!!と足音が近づき、片手で私の口を、もう片手で太ももを抑えました。私は、もしも襲われたら大声を出して傘を振り回そう、と思って覚悟して歩いていたにも関わらず、叫び声が出せませんでした。叫んでいるつもりだったのに、近所の人には届きませんでした。
私は暴れたのでしょうか、その男はふっと手を離し、逃げたように思えました。私は無我夢中で思い切り家に飛び込み、状況を話すと、親は玄関を飛び出て行きました。
その後、私は気丈でした。翌日の学校では、こんなことがあってさー!なんて笑い話にして、家ではそれについて話すことはほとんどありませんでした。
当時、通学電車でも毎日のように痴漢にあっていて、スカートの下の下着にまで手を入れられたり、ある男が電車をおり際にガシッと胸をつかんで降りていったり、、そんなことは当たり前にあることでした。
それについて、親にはあまり相談しなかったように思います。心配かけまいとする気持ちが強かったのでしょう。1人でずっと、嫌な気持を抱えていました。
昨今のニュースを見るにつけ、人ごととは思えないのです。もしあの時、男がナイフをもっていたら、、もし殴られたり車で連れ去られたりしていたら、、。携帯電話もない時代、私はどうしただろうか、、。
そして娘を持つ親の気持を考えると、いたたまれません。もし自分の子がそうなったら、どうするか、どこに助けを求めるか。当時の私のような泣き寝入りはいけないと思うのです。
今思えば、私はとても悔しかった、悲しかった、嫌だった。でもあえてそんな気持ちを思い出さないで心の傷を収めるために、明るく振舞って笑い飛ばしていたように思います。強く生きなきゃ、と呪文のように唱えていました。
それも一つの道かもしれないけど、加害者を明らかにすることもまた、近隣にとって大事なことだと、今は思います。それは本人ではなく、周りの大人が手を尽くすべきことなのでしょう。